「第14回みちのくYOSAKOIまつり」仙台城跡観光編
この度「第14回みちのくYOSAKOIまつり」参加のため仙台へ訪れることになりました。
その経緯は、「第14回みちのくYOSAKOIまつり」伊勢うどんブース出店編をご覧ください。
2011年10月7日みちYOSAの前日、伊勢舞熱人本体より先行して仙台にやってまいりました。
杜の都仙台へ訪れるのは初めてでは無いのですが、観光するのは初めてです。
仙台観光初心者は「るーぷる仙台」1日乗車券(大人600円、小児300円)で定番ルートがいいと思います。
今回はこちらを利用させていただきます。
一日乗車券は旅の思い出にもなります。
上級者は「仙台まるごとパス」2日間(大人2600円、小児1300円)で自由行動がオススメ。
詳細は「るーぷる仙台」「仙台まるごとパス」をキーワードに検索してみてください。
今回はあまり時間に余裕が無いので、地震の被害を受けたという「仙台城跡」に絞って見に行くことにします。
まずは仙台城について少し。
仙台城(またの名を青葉城)とは、「戦国BASARA」の主人公でもあられます、伊達政宗公が築いた城であります。
(おみやげ売場には「戦国BASARA」コーナーがありました)
範囲として、北は千貫沢、東は広瀬川、南は竜ノ口渓谷、西は(天然記念物の)青葉山に囲まれた区域です。
現在、本丸跡地は、宮城県護国神社、青葉城資料展示館、仙台城見聞館、伊達政宗騎馬像等々が建っています。
公園になっており、飲食店やおみやげ売場があります。二の丸跡地は東北大学川内キャンパスが建っています。
三の丸跡地には仙台市博物館が建っています。全部合わせるとめちゃくちゃ広いです。
仙台城の完成は慶長7年(1602年)と言われており、戦国時代の城ではないせいか、元々天守閣は造られませんでした。
戦国時代は国分氏がこの地を治めており山城がありました。
「千畳敷」と呼ばれるような豪華絢爛な大広間等がありましたが、明治維新後、売却されて取り壊されてしまいました。
残った建物も火災や空襲で焼失してしまいました。
石垣にも特徴がありますが、話が長くなるのでやめておきます。
駐車場入口は歩行者の通行に制限があります。
大手門跡の石垣はブルーシートで保護されています。
津波の被害こそありませんが、地震の揺れも相当な大きさだったことが想像できます。
大手門跡入口は車両通行止め
通常であれば、るーぷる仙台はここを通って本丸跡地まで行きます。
そのまま歩いて進むと、崩れそうな石垣です。
飛び出しているのが写真でわかるでしょうか。
大手門脇櫓(隅櫓)では、ひさしが崩落しています。
昭忠塔のトビもこの様に。
伊達政宗騎馬像はご健在。
この日は、向こう側の広場で、奥州仙台おもてなし集団「伊達武将隊」が撮影中でした。
公園からは仙台市内が一望できます。
いかがでしたでしょうか。
まだまだ営業が再開できない店舗も多いみたいですが、道路や交通機関などのハード面に関しては、正常に復旧している様子です。
杜の都ですから、青葉山を始め秋になれば紅葉の名所もたくさんあります。
とても遠いですが、訪れる価値大です。
仙台観光してみてはいかがでしょうか。
「第14回みちのくYOSAKOIまつり」仙台市役所編
仙台市では、全国から届いたメッセージ等を本庁舎や避難所に展示しているという情報が入りました。
ということで仙台市役所のロビーを拝見してまいりました。
現在、仙台市内の避難所は全て閉鎖されたと伺っております。
全国から送られた折り鶴や寄せ書き。
世界各国からもメッセージが届いています。
そんな中、見覚えのあるスケッチブックがありました。
かなりのスペースを占領しております。
そうです。
有緝幼稚園の園児さんやミタス伊勢のお客様からいただいた寄せ書きです。
みちYOSA事務局吉田さんが仙台市長に届けてくれました。
たくさんの方々に見ていただけたでしょうか。
「第14回みちのくYOSAKOIまつり」石巻市日和山公園編
2011年10月8・9日の日程で盛大に開催されたみちYOSAでの出店も無事終わり、10月10日伊勢舞熱人本体と分かれて、たけうちは単身、石巻市へと向かいます。
なぜ石巻市か?
私自身、石巻市及びその周辺とは何のゆかりも繋がりもありません。
行政団体及び民間団体においても、目立った関係を聞いたことがありません。
それでも人って必ず何処かで繋がっていくんだなぁと、つくづく考えさせられる不思議な縁を感じます。
1つ目の繋がり
震災直後、行政単位の支援において三重県の支援先が宮城県でした。
宮城県から三重県へ要請があり、三重県から伊勢市等の各市町村へ指示がまわるという仕組みだったそうです。
3月に震災があり、5月のミタス伊勢周年祭をどうするか揺れていたころに、いろいろな方から情報をいただきました。
その中の1つに宮城県内の被災直後の写真がありました。
写真は、三重県の職員の方々が支援部隊として駆けつけた際、現地調査写真として撮影された数千枚をお借りすることができました。
5月にミタス伊勢で5百枚程度展示させていただきました。石巻市の状況も印象に残っています。
この件では、最も被害の大きかった宮城県ですから、支援した多くの県の一つが三重県であっても何の不思議もありません。
2つ目の繋がり
ミタス伊勢の3周年企画として、仙台市に事務局がある「みちのくYOSAKOIまつり」実行委員会様を招待しました。
周年祭の時にはいつも盛り上げてくれる、よさこいソーランの組織「伊勢舞熱人」の働きかけで、通常では考えられないコラボレーションが実現しました。
よさこいソーランは全国的に広まっており、全国で大きな祭やまちおこしが開催されています。
ところが、それぞれ地域毎に活動し、交流は深めていますが、実は全国的にまとめる組織がありません。
そのため、東北のチームを招待しようという案が出たとき、情報がなく途方に暮れましたが、導かれるように「みちのくYOSAKOIまつり」実行委員会様と連絡がとれることになりました。
ここから、なにかしら宮城との不思議な縁を感じ始めました。
3つ目の繋がり
伊勢市観光協会青年部の皆さまが、石巻市へ炊き出しにいかれました。
伊勢市と石巻市との関係は「全国花火サミット」でした。
伊勢市には皆さんご存じ「伊勢神宮奉納全国花火大会」があります。
平成22年に開催された第58回伊勢神宮奉納全国花火大会では、全国花火サミットが同時開催されたのをご存じでしょうか。
このサミットの事務局を担当したのが伊勢市観光協会様でした。
全国花火サミットは、参加団体(11団体)
が、毎年持ち回りで開催しているそうです。
21年度は「やつしろ全国花火競技大会」、22年度は「伊勢神宮奉納全国花火大会」、そして今年の23年度は「石巻川開き祭り花火大会」で行われる予定でした。
しかし、震災により23年度「土浦市」が、24年度は「長岡市」が幹事となり、25年度に復興した石巻市でサミットを行うこととなりました。
「石巻川開き祭り花火大会」の事務局は石巻商工会議所様が担当されているそうです。
この流れの中、伊勢市観光協会様から石巻商工会議所様へたすきが渡される予定でした。
そして、居ても立ってもいられない伊勢市観光協会青年部の皆さんは、思い入れもあり、被害が最も大きかった地区でもある石巻市へ炊き出しに行かれたわけです。その際受け入れを仕切ってくれたのが石巻観光協会様でした。
これを切っ掛けにして、「うましくに伊勢シェフクラブ」様も炊き出しに行かれました。
補足:「みたすの湯」は伊勢市観光協会会員です。
4つ目の繋がり
伊勢舞熱人が仙台のみちのくYOSAKOIまつりに参加する。
仙台から石巻までは約50km、引き寄せられているとしか考えられません。
石巻まで行くのは必然でした。
気付いていないだけで他にももっと身近なところで繋がっているみたいです。
次は、石巻情報。
10日朝、伊勢舞熱人本体とは反対方向に向かって走ります。
目的地はニュースでも報道されている、日和山公園。
途中の道路は、綺麗に補修され、震災の跡は伺えません。非常にスムーズに走ることができます。
これには驚きました。
石巻河南インターを降りてJR石巻駅前を通り過ぎます。
ここまで走りながらの車から見える風景からは、震災があったのが信じられません。
日和山公園に着くと、さほど大きくない駐車場がほぼ満車です。
私が訪れたのは10月10日午前9時30分頃。観光バスが3台とまっています。
日和山(ひよりやま)公園について
http://www.city.ishinomaki.lg.jp/shokokanko/sangyou_kankou/kankousisetu/hiyoriyama.jsp
まだまだけっぱれ!
日和山公園から石巻市沿岸部が一望できます
川岸に綺麗に積まれているのが、がれきの山です。
公園から真南方向の海岸沿いには、がれきの山と廃車の山です。
北の方角を見ると、中州に着陸した丸い宇宙船のような建物が「石ノ森漫画館」です。
この中州は、空から見た地形が、世界経済・文化の中心「N.Y.州マンハッタン」に似ていることから「マンガッタン」と名付けられました。
「マンガッタン」から「日和山公園」を見上げるとこんな感じ。
1961年5月チリ地震津波碑の隣で見つけました。
四つのテスト(結構有名なロータリークラブの指針だそうです)
言行はこれに照らしてから
これに
を勝手に加えて座右の銘にしても良いでしょうか?
日和山公園で思わぬおみやげをもらうことができました。
沿岸部の風景は、遠目からしか見ていませんが、途中車から見た風景とは別世界です。
ほんの数キロの差での状況変化に、少し訳がわからなくなります。
報道では感じられない感覚があります。
やはり自分の目で見ないといけませんね。
どんな理由でも良いので、是非ご自分の目で東日本大震災というものを見て欲しいです。
「第14回みちのくYOSAKOIまつり」石ノ森漫画館・マンガロード編
さて、続きましては、駅前から石ノ森漫画館までのマンガロードを歩いてきました。
車で行きましたが、マンガッタンライナーで来たつもりで、駅からスタートします。
じつは、駅のホームに重要なアイテムがあります。
車の方は入場券で確認することをオススメします。
案内看板はいくつかありますので、見落とさないように。
マンガッタンライナー
http://www.man-bow.com/manga/liner/liner.html
駅前の石巻観光協会「ロマン海遊21」
この建物の前で、伊勢市観光協会青年部の皆さんが炊き出しを行いました。
もう1箇所、牡鹿半島の鮎川浜でも炊き出しを行いましたが、遠いので行けませんでした。
マンガロードに入ります。
009島村ジョーの勇姿。ヒーロー好きのボルテージが上がります。
006張々湖(ちゃんちゃんこ)。この鼻にご利益が無いとは思えません。
滞在時間を大幅に引き延ばして、ほとんどのキャラクターを追いかけましたが、権利があったりするとまずいし、ここでネタばらししてもおもしろくありません。
自分の足で探すとかなり興奮すること請け合いです。
市民が全員ヒーローだったらヤバイですよね。
そんな街なら住みますよ、私は。
汚水のハンドホールはロボコンです。
愉快な街です。すばらしい!
お地蔵さんまでこんなにカワイイ!
と、思ったら。
漫画神社御神体漫画章命(よろずえがくあきらのみこと)と仰いまして
石ノ森先生本人との情報。なるほど、右手にはGペンを握っています。
ここまでの散策で、街の様子を見ても、やはり津波の被害があったようには見えませんでした。
(2011年10月10日の時点)
しかし、後で聞きましたら、こんな風に復旧したのはつい最近の事だと聞きました。
また、この翌日11日に石巻市内の全避難所を閉める予定になっているそうです。
避難所が閉まると聞くと、安心してしまいそうですが、この状況ではまだまだ何年も避難生活が続くでしょう。
本当に復興するまで細く長くあらゆる角度から支援を続けていかなければならないと肌で感じました。
さらに、しばらく歩くと、海に近づくにつれ、まだ手付かずのところが残っています。
所々、復旧していない信号機があります。
被災状況を目の当たりにしつつ進むと
石ノ森漫画館に到着。
閉館中と言うことは知っていますが、ここまで来て手ぶらで帰れるわけありません。
言葉になりません。
再開の目処は立っていないそうです。
閉館していてもファンが来て寄せ書きをしていきます。
と、とうちゃん
(ちゃぶ台って、標識に脚をつけたものだったのか…)
帰りのことも考えずに歩き回ってしまいました。
駅前に戻り、「ロマン海遊21」で買い物。
しかし、生産が思うように進まず、こんな棚もありました。
つい最近入荷したばかりの商品もありました。
石巻観光協会の方にいろいろお話を伺うことができました。
駅周辺及び、この施設も浸水したそうです。
今となっては当日のことが信じられないと仰っていました。
伊勢市観光協会の炊き出しには本当に感謝してくださっていました。
そこへまた変な奴が伊勢から来て、得体の知れない腐れ縁を感じてもらったのではないでしょうか。
石巻市の地図を見ると、伊勢志摩とそっくりです。
唐突ですが、世界三大漁場というのがあります。
と言われています。
「日本近海から北太平洋に広がる海域」の中でも特に漁獲量が豊富なのが日本海三陸沖と言われています。
その三陸沖の中心をなすのが金華山沖と言われています。
「金華山」は石巻市の離島です。
そんな石巻ですから、食は美味いに決まっています。
今回は満喫できなかったのが残念です。
金華山沖で捕れた「さば」や「かつお」は「金華ブランド」として全国に出荷されています。
石巻で水揚げされた魚介類を、実は毎日食べていたのかもしれません。
そんな石巻の食を味わいに、是非足を運びましょう!
広報たけうち